ジラール・ペルゴを含め、スイス高級時計の世界で一流といわれるブランドは、想像力をかき立てる時計をつくり、豊かな歴史を誇っています。ジラール・ペルゴに現在の地位をもたらした歴史は200年以上前、1791年にさかのぼります。
スリーゴールドブリッジ付きトゥールビヨンなど、1800年代にコンスタン・ジラールが初めて作った革新的なデザインとムーブメントは、改良を加えられ、現在も製造されています。これほど長い間、物の形状や機能が変化せずにいるということは極めて珍しいことです。
ジラール・ペルゴは、常に革新に力を注いできました。時計製造業界では80以上の特許を登録しており、収益のかなりの部分を研究開発に再投資しています。研究開発こそ、時計とブランドを密接に結びつけ、完璧の追求という終わりなき旅をよりよきものにしようとする力を与えてくれるものです。
それだけではありません。ジラール・ペルゴは、今もなおスイス時計業界における数少ない真の「マニュファクチューラー」です。
(「マニュファクチュール」という語はラテン語の「手作り」という語に由来します)
ジラール・ペルゴが定義する「マニュファクチュール」とは、時計作りにおいて、外部部品とその「心臓」であるムーブメントの両方の定義、デザイン、開発、製造における統合的なアプローチができる会社のことです。ジラール・ペルゴは、今なお存在する最も総合的な「マニュファクチュール」のひとつといえるでしょう。
お客様にとって、ジラール・ペルゴの一貫した付加価値のあるアプローチは、単なる部品を組み合わせた時計ではなく、本物のアイデンティティーを刻印された真の時計づくりに欠かせないものです。ジラール・ペルゴは、「高級時計」に属する高性能複雑機構から、機械式やクォーツムーブメントなど、さまざまなラインアップをそろえています。
ジラール・ベルゴ社と日本の関りは深く、江戸時代まで遡ります。
1861年、スイス時計を広める為、若干27歳のスイス人青年が横浜より日本に入国しました。彼こそが、ジラール・ペルゴ社創業一族の一人、フランソワ・ペルゴでした。彼は、1864年日本における初のスイス時計正規販売店を開業し、ジラール・ペルゴウォッチを広めました。
明治維新を境に西洋化か進み、特に新橋横浜間に鉄道が開通したことによりその近代化に拍車が掛かりました。又、太陰暦と太陽暦との違いによる諸外国との通商に支障を感じていた明治政府は、勅令により明治5年12月3日を明治6年1月元旦とし正式に太陽暦を採用し、西洋の時間測定法に基き一日が24時間として計測されるようになりました。これを機に正確な時を知らせる時計を使用する機会が増しフランソワ・ペルゴの商館も賑わいを見せたであろうと思われます。しかし彼は、その後間もない1877年12月に脳梗塞に倒れ、志半ばに息を引き取ります。彼は、その愛してやまなかった横浜山手の外国人墓地で永久の眠りについています。 |
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